”想い”の見える化 「自分のやりたい事を見付ける」意義を考える
実現力記事を書くのは、3月30日以来ですから何と113日ぶりになります。
何故こんなにも遅くなったかというと、このブログは現在進行中の思考内容ですから、自分の中に答えが見えてこないと執筆が出来ないのです。
特に現在書こうとしているテーマは”想い”を持つ事です。
”想い”を持つ事は、実現力思考が始まる重要な出発点なので、つい、答えを出すのに慎重にならざるを得ません。
そもそも”想い”が無ければ実現力はある意味使う事のない「無用の長物」と言えます。
そして、取上げた”想い”が自分にとって本音を反映した本物でなければ、結果的に貴重な人生の時間を浪費する事にもなります。
それだけに、貴重な人生を掛ける事となる「自分のやりたい事を見付ける」というこの項のテーマは、多くの人が、答えを出すのに慎重になりがちで、決めるまでに多くの迷いを持ち、多くの時間を掛けてしまう悩み多き問題となっております。
でも、この「自分のやりたい事を見付ける事」を探し出す前に、まず「自分のやりたい事を見付ける事」の意義を先に考えて行きたいと思います。
1、「自分のやりたい事を見付ける事」の意義を考える
”想い”と言っても沢山のジャンル(お金・家・恋人が欲しい、熱中するものが欲しい、人の役に立ちたい、成長したい、など)が有りますが、その中でも人にとって最も重要な”想い”は「自分のやりたい事を見付ける事」だと考えています。
何故ならば、その選択により、自分の人生の多くの時間やエネルギーを捧げる事になると思うからです。
故に、間違いない選択をする為にも『「自分のやりたい事を見付ける事」は自分の人生にとってどんな意味があるのか?』意義を知った上で決めた方が、間違いない選択が出来るものと考えます。
この意義の答えは、「人は何の為に生きているのか?人生を生きる目的は何か?」の答えの先にあると、私は考えています。
人生の目的があり、その目的を満たす為に「自分のやりたい事を見付ける」と言う手段が必要となる。
そうです、私は「自分のやりたい事を見付ける事」の意義は、人生の目的を果たす「手段」を探す事、と位置づけで考えています。
まずは、あなた自身に問いかけてみて下さい。
・自分は何の為に生きているのだろう?
・人生を生きる目的とは何だろう?
私自身は、人が生きる目的には二種類の目的があると考えています。
①一つ目は、生物として、子孫を残すという生きる目的です。
それは自分の遺伝子DNAを子孫として残す役目をこなす事です。
ある意味地球上で生きる生物が持つ目的と同じ役割で、本能と言った方が分かり易いかもしれません。
行動としては「食欲、性欲、睡眠欲」という生物が持つ基本的な欲求を満たす為に生きる事が目的となり、結果として子孫を残す事に繋がります。
生物的な欲求といっても、食欲を満たす事も、子孫を得る事も簡単な事ではなく、継続するには幾多のハードルが有ります。
・食欲で言えば、それを満たす為には仕事の場を得て、その仕事場で認められ、且つそれを継続させなければなりません、
そして、仕事を得る為には、社会で通用する為に多くの知識や行動が出来る様になる為、長い教育期間や体験が必要になります。
・一方、子孫を得る為には、男女がともに惹かれ合うパートナーを見出し、結婚し、子を産む事が必要となります。
そして、生まれても、その後20年間前後に渡る子育ての期間が有り、長い期間に渡り財力を下に、生き延びる事が必要となります。
この二つの欲を満たすだけでも、一生の半分以上の期間を占め、それ自体、語りがいのある物語となります。
其れゆえ、この生物に与えられたミッションをこなし、維持し続けるだけで満足し、それに幸福感と生き甲斐を感じている人も多いのではないかと思います。
例とすれば、今は変わりつつありますが、外に働きに出ず家事を専業とした、昔の女性に役割り付けられて来た生き方です。
②二つ目は、人間個人としての自己実現を達成する目的です。
人が、二つ目の生きる目的を持つに至ったシナリオを、私は次の様に想像しています。
人は言葉という思考に必要な能力を発明・獲得し、又、それを記述する外部記憶装置(紙)をも発明・獲得する事で、思考能力が高まり、人はより複雑な思考をする事を可能とした。
その思考力は、農業革命など幾多の技術的革命を引き起こし、生きる為の衣料、食料、住まい(いわゆる衣食住)などの社会環境のインフラを整えさせた。
生物としての三つの欲求(衣食住)を満足させる環境インフラ整備という土台が出来た事で、考える時間的余裕が生まれ、より人の思考能力は高まり、もっと自分の満足感を得る為、社会の中での自分の地位を高めたいという、新たな個人的な欲求を芽生えさせる事となる。
そして、その思考能力は「人が生きられる時間は限られている」事実をも認識させ、その認識が死に至るまでに、抱えた自己の想いを形にして残したいという欲求を嵩じさせた。
社会の環境が整い、教育が整備され、生活への不安が少なくなり、且つ益々高度の思考能力を持った人間は、個人としての自己実現達成への欲求を強め、二つ目の生きる目的として、個人の自己実現という目的を持つ事となった物と想像しています。
生物としての欲求を満たす第一の目的のみでなく、第二の自己実現する目的を持つに至った理由について、そんな風に私は考えています。
重ねて言いますが、あくまでも、これは自分の想像上のシナリオです…。
自己実現の欲求・目的は、人間が思考する力を得た事により生まれた地球上の生物の中では、人間だけが持つ特殊な目的と言えます。
でも、実は人の第二の欲求・目的は、あってもなくても支障なく生活は出来、生きていく事が出来ます。
そして、生物としての第一の欲求・目的以外は、「何をしても、何もしなくても構わない」あくまでもその人の個人的な問題です。
それは、人それぞれが、自分で選択する問題であり・追及していけばよい個人に任された問題なのです。
それが74年間生きて来た結果、感じている事であり、自分が持つ結論でもあります。
私の考える『結論としての「やりたい事を見付ける事」の意義』とは、この第二の目的を満たす為に答えをだすべき第一歩と言う位置づけです。
ただ、忘れていけないのは、この第二の目的である「自己実現」こそ、生きる満足度を左右する重要な要素であるという事です。
・自分にとって未知なる物事への好奇心を満たすチャレンジをする事であったり。
・「自分の心が躍る事」をする事であったり。
・他の事には目に入らず、我を忘れて自分を夢中にさせる事であったり。
・やる事が、とにかく面白いし、楽しくて仕方がない事であったり。
・自分がやる事で、人から感謝される事であったり。
過ごす時間が充実しており、後から振り返って後悔のない時間になるストーリーを残す事こそが、「自分の遣り甲斐と自己肯定感」を作り上げてくれます。
「やりたい事を見付ける事」は、その充実した時間を作り出す「自己実現の入口の門」をくぐる事です。
同時に「選択の良し悪しが、満足感の多寡に繋がる」困難な作業でも有ります。
でも、このミッションをクリアする事なしに、自己実現への道が見える事も、チャレンジを開始する事も出来ません。
人生は、「”想い”を持つ事なしに面白くはならない!」。
そして、面白くする為には、その”想い”は自分にとってやり甲斐が有る物であり、自分の気持ちや本音、大切な価値観を反映した物である事が必要なのです。
「やりたい事を見付ける事」は、慎重に精査する事が必要ですが、決める際は大胆になり覚悟を持たなければ決められません。
でも一旦決めれば、「自己実現の道を歩む為に」という動機から生まれるエネルギーが常に心に供給され、行動を生み、人生の満足を得られる結果を生みだして行く。
私は、そう考えています。
*それに、選択の結果が思うような結果では無かったとしても、その結果を受け入れられれば、人は直ぐ変わる事が出来るのですから!。
そして又、新たな事を始めればいいのです!。
【参考】
・心理学における自己実現の意味
自己実現は、心理学において「自分らしく生きること」を意味します。
趣味を大切に生きたい、仕事に精進したいなど、自身の価値観を大切にすることで、縛られることのない望み通りの生き方をするということです。
*自己実現とは、わかりやすく言うと「なりたい自分になること」です。
*以上、本説明資料はNET(ローリエプレス)より引用しました。
・筆者が考える自己実現のイメージ
未来に向け、自分の心の中にある、その時に感じるやりたい事の構図(絵図)を描き、その構図の実現に自らのエネルギーを注ぎ込む。
それは、「社会に自分の舞台を作り、そこで自分が主演者となり演技する」というイメージです。
そして、結果を求めますが、結果に過度にこだわる事なく、その全ての工程を愉しむ。・・・自分に求めるのは、気付きを得た以降は、常に充実した時間を送る事であり、やり残す事のない、後悔のない人生を送る事です。
何歳になっても、思い立った日が吉日。
旅立つ勇気を持てば、人生は面白くなる!
「やりたい事はやる!」
「一歩先に踏み出す!」
そういう気概を忘れず、今も頑張り中です。
2021年7月21日記