【書評】面白いとは何か?面白く生きるには? 著者:森博嗣
”人生が「面白い」と感じるられる事を「幸せ」という”
この言葉は、この本の中で語られている筆者の言葉ですが、私もそう感じています。
何故ならば、自分の過去を振り返ってみると、楽しかった時間の記憶のほとんどが、『自分が「面白い」と感じた事に熱中した時間』である事に気付くからです。
この気付きが教えてくれる事は『我を忘れられるぐらい熱中できる「面白い事をする」事が、充実した人生を送る「幸せのキーワード」』なんだな、という事です。
ただ、こういう答えに辿り着いたのですが、改めて今の自分にとって「面白い」こととは何かと考えた時、今一つ自分の面白さの形が見えて来ないのです。
その理由を考えた時、面白い事に熱中すると言っても、「面白いという言葉」自体抽象的かつ感覚的で、「面白い」とは、どういう内容を指し示すのかが自分に見えてない事に気づかされました。
その結果『「面白い」とは、そもそもどういう事なのか?』という疑問を抱くと共に、自分にとっての「面白い」を追求するには、まず『「面白い」という言葉を定義する』事が必要だ。…と思えてきました。
例えば『「面白い」というのはこういう内容の事を言うんだよ。その内容で、自分の「面白い」ものは何かを考えてね!』という風に『「面白い」を定義して』自分に質問すれば、もっと明確に自分にとっての「面白い」を探がす事が出来る気がしたのです。
つまり、この本の表題である「面白いとは何か?」を定義してこそ、自分にとってこれが「面白い」を見つけ出せる。…という風に思えたのです。
では、この本に『「面白い」とは何か?』の答えはあるのか?というと、私の読解力不足の問題かもしれませんが、私がこの本を読んだ印象からは、明確な定義は読み取れませんでした。
参考ですが、著者は、この本の役割について下記の様に述べています。
『(この本は)難題「面白いとはどういう意味なのか」について書かれている。ただ詳しく説明している訳ではなく、データに基づいた分析をしている訳でもない、「面白さ」について作者が思う所を素直に述べただけ。』
この本への私の印象としては、『「面白い」という言葉は、複数の使われ方をし、人により面白いというツボも様々』。だから、「面白い」の意味を断定するのではなく、むしろ、色々な角度で「面白さのメカニズムを考察」し、生きる上や、仕事をする上でのヒントを提供する事を目指している。…とこの本の役割を解釈しています。
そこで、書評より逸脱してしまいますが、自分の「面白い」を探す為に、私なりに「面白いとは何か?」の意味の定義付けを試みてみました。
この本によると、「面白い」は大きく分けると二つに分かれるそうです。一つは「可笑しい」という、笑いを誘われる場面で使われる「面白い」です。もう一つは何かに「夢中になる」という意味で使われる「面白い」で、対象に興味をそそられる「面白さ」がある時に使う。…と説明されています。
今回、定義付けを目指すのは、後者の「夢中になれる、興味をそそられる」という意味での「面白い」についてです。
「面白い」を定義する為の参考として、以下の①~③について考えてみました。
①「面白い」という言葉の品詞的分類区分について調べ、「面白い」という言葉は、何を表そうとしているのかを考えてみました。
・『「面白い」という言葉は、品詞(言葉の役割区分)的に形容詞に分類されます。そして形容詞の役割は、名詞や代名詞を修飾する役割を持ちます。同時に形容詞は、物事の性質や状態を表すことができます。』
・上記の調査内容より「面白い」は、品詞分類としては形容詞ですが、ここでの使い方としては、対象とする事柄に出会い引き起こされる「感情・心の状態=興味を感じる楽しさや好奇心の度合い」を表すもの、と考えました。
②人が「面白い」と感じる感覚やその時の心の状態とは、どういう物なのかを考えてみました。
「面白い」という感覚を表すには、その対極にある「つまらない」という感覚と対比すると掴み易いと考え、あくまでも私の感覚と成りますが、二つの感覚と心の状態を比較して表現してみました。
・「つまらない」と感じる感覚・心の状態:『「変化が無くて退屈だ!」、「古くて新鮮味がない!」、「魅力を感ぜず興味が湧かない!」、「心が動かずテンションが上がらない!」』など。
・「面白い」と感じる感覚・心の状態:『「気持ちが昂る・ワクワク・ドキドキと興奮する!」、「新しく新鮮味がある・触れたい・味わいたい!」、「楽しそう・不思議?と興味をそそられる!」、「これって何?どういう事?もっと深く知りたい!」』など。
上記の比較から導かれる「感覚・心の状態」をまとめると、「つまらないは=対象に魅力も興味も湧かず、心が全く動かない」のに対し、「面白いは=対象に引かれ・興味が湧き、もっと知りたい・やってみたいという好奇心が生まれ、心が高揚する」という事だと感じました。
「面白さ」を感じる対象やツボは、100人いると、多分100人それぞれが違い100人100様と思いますが、「面白い」と感じる時の心の状態については人により大きく変わる事はない。…と私は思っています。そして、『「面白く生きる」とは、その面白いという感覚を味わえる時間を多く持つ事』なのだろう、とも推察しています。
③「面白い」と感じる感情は、「何処から生まれて来るのか?」を考えてみました。
私が考える「面白い」という感情が生まれる要因は、『人間が未知な物に対した時に、心の中に湧き上がる「好奇心」』がキーワードと考えています。
好奇心をNET等で調べると、おおむね次のような意味で説明されております。好奇心:「人が生まれつき持った感性のひとつで、珍しさや意外だと思われること、複雑だと思える事柄がどういうことなのかを知りたいという感情」。(NET:KATSUIKU ACADEMYより)
『「面白い」という感情が生まれる原因は、この「好奇心」にある』のだろう。…と感じています。そのメカニズムは以下の通りと推察しています。
人が、興味をひく未知な物に向き合った時、生まれ付き持つ「好奇心」という感情が発動し、『「見えない謎を明かしたい」、「持ってしまった疑問の答えが知りたい」、「もっと深く知りたい・味わいたい」』という「謎解き」の強い欲求が生まれ、謎や疑問の答えを得るまで、あるいわ自分なりに納得するまで、人を継続的な「謎解き」の探求行動に駆り立てていく。そして、その探求の過程で味わう『「焦燥感、ワクワク・ドキドキ」など、心に広がる興奮こそが「面白い」という感情の正体』なのだろう。…と私には感じられました。
私は、こういった一連の「心の興奮の立ち上がりから解消」までの心の動きの流れを『「”心のアンバランス”」の解消行動』と名付けています。
「”心のアンバランス”」とは、外部からの刺激を受け、その刺激が原因で生まれる『バランスが崩された事で生まれる「心の不安定な状態」』を指しています。「心の不安定な状態」は、精神的に重苦しい状態なので、人の内部に、この「心の不安定」を解消し「心が安定=バランス」を取り戻そう、という力が働く事となるのです。
こうした、「心のバランスを取り戻そうとする一連の心の動き」を称して、私は『「”心のアンバランス”」の解消行動』と名付けました。
この「”心のアンバランス”」という言葉を使うと、心の状態を理解し易くなると思うので、「”心のアンバランス”」について、少し説明をさせて頂きます。
この説明には、「天秤はかり」をイメージして頂くと分かり易いので「天秤はかり」をイメージして下さい。「はかり=秤」の左右の皿に何も乗ってない時(天秤棒が平衡状態にある)を平静時の「バランス状態」と考えます。そして、ここで言う「アンバランス状態」とは、左右のどちらか一方に重しが乗せられ、重しを乗せた皿は下へ、そして反対側の皿が上へと移動し、『天秤の棒の平衡が崩れ「傾き」が生まれた』状態を指します。この平衡を無くし傾いた状態を「天秤棒の平衡(平静)が無くなる=バランスを失う=アンバランス」と言い、これを心の状態に置き換えて「心の平衡(平静)が無くなった状態=”心のアンバランス”」と名付けています。
ここで言う皿に乗る「重し」とは、心の「天秤はかり」においては『「謎、疑問、ストレス」など未解決の事柄・感情』が重しとなります。これが心の負担(片側の皿に重しが乗った状態)となり、心の天秤棒が傾く(”心のアンバランス”の発生=ストレスの発生)のです。
そして、一旦傾いた天秤棒は=ストレスを抱えているという事ですから、必ずストレスを解消しようという行動ベクトルが生まれ、その方向へ行動する事となります。そして、この傾いた天秤棒が平衡(水平)を取り戻すまでは、「未解決である事から生まれるストレス=”心のアンバランス”」を抱える事となるのです。
この心に生じた『”心のアンバランス”というストレス』こそが、そのストレス解消に向け、謎や疑問の答えを探求する継続的エネルギーを生みだす源泉となって、人を探求の深みに連れて行ってくれている。…と私は考えています。
「心のアンバランス」の分かり易い例を上げると、悪い例に成りますが「復讐」が有ります。大切な人を殺されてしまったら、これが永遠に続く”怨念”というストレス(心の重し)となります。この重いストレス状態を解消する為に、極端な場合、原因を作った相手に「復讐」する事で、ストレス解消=心の重しを取ろうとするのです。
この事象は「好意の返報性」という事柄も「心のアンバランス」で考えると理解ができます。好意を頂く事は有難いことではあるのですが、実は、好意を頂いた側の人にとって見れば、それが心の負担(=重し)となり、心のバランスを崩す(心のアンバランス)要因になってしまうのです。
つまり、人の好意が逆に心にストレスを生じさせてしまうのです。だから、何かの機会に相手に好意の返礼をする事で心の負担(重し)を取り除こうとするのです。「好意の返報性」とは、”心のアンバラス”を解消しようとする行為である。…と解釈しています。尚、お土産など、頂き物をした時に返礼する習慣は、頂き物をした事で発生する心のストレスを解消する為に行われる様になった習慣、と私は考えています。
長々と”心のアンバランス”の説明をしてしまいましたが、上記の内容を含めて考える「面白い」という感情が生まれるメカニズムは、興味を惹かれる物事に出会って好奇心が生まれ、その好奇心という欲求が満たされるまで、「心は不安定」=「欲求不満が生む”心のアンバランス”の継続」に陥る。そして、この「未解明という欲求不満(”心のアンバランス”)を解消させる!」=『「未知の解明」への挑戦意欲』、こそが『「面白い」という感情を生み出す本体』であり、この”心のアンバランス”を解消する”道のり”こそが、「面白さ=楽しさ」を継続して生み出す原動力となる。…と考えています。
心の天秤の皿にのせられる”重し”は、好奇心から生まれる「焦燥感、ワクワク、ドキドキ」といった未解決の感情と成ります。そして、未知が→既知と解決するまで、この感情の”重し”は「心の天秤棒」を傾かせ続けるのです。
つまり、この「重し=重ぐるしさ」こそが、解決への過程の面白さを高め、興味を繋ぎ停め、そして解決まで興味を持続させる動機となる。…と考えています。
尚、生じる”心のアンバランス”という心の状態には、「陰・陽」の二つの方向性があると考えています。内容は以下の通りです。
「陰」の”心のアンバラス”は、復讐の例にも挙げた様に「怨みや妬み」にまみれるダークな行動を誘う心の状態。一方、「陽」の”心のアンバランス”は、好奇心「未知・未体験の事柄を知りたい・体験したい」を満たすための(成長行動の起点となる)心の状態。
「面白い」と感じる感覚(感情)は、ストレスの内容が、この『「陽」の”心のアンバランス”』を作り出す方向の内容であった時に、生まれる感覚(感情)。…と考えています。
*「心のアンバランス」の説明は以上ですが、参考としてお伝えしたい事が有ります。この「心のアンバランス」という考えは、人との会話・コミュニケーションの場面でも、人間関係の良好維持の手法として活用する事が出来ます。
要は、伝えようとしている言葉や自分がしようとしている行動の選択内容が、『相手の心にどの様な「”心のアンバランス”」を作り出すのか?』を推察(=評価)し、相手の心に要らぬ”心のアンバランス”を生じさせない様な言動を選択するのです。つまり、常に自分がする言動が原因となり、相手の心に苦しい”心のアンバランス”を作らぬ様に配慮するという事です。
「人間関係を上手くコントロール出来ていない」とお悩みの方には、対人関係を良好に保つ会話の”コツ”として利用出来ると思うので、一度参考に出来るか考えてみて下さい。
少し横道にそれましたが、以上三つの思考を重ねた結果、導き出された『”興味をそそられる”という意味での「面白い」の定義』は以下の通りです。
「面白い」の定義:『「面白い」とは、興味をそそられる物事に出会う事で芽生える「強い好奇心から生まれる感情」の事で、興味の対象の「未知の部分」を探求する事に”ワクワク”し、興奮させられ、夢中にさせられている「心の状態」を表す。』
あくまでも、私が到達した定義なので、「読者の方の参考と成れば嬉しいな!」という心境です。
いかがでしょうか?この「書評」と言い難い「書評」は、参考になりそうでしょうか?
以前にも書いたと思いますが、私は常々、『この世を去る時に「ああ、面白かった!」というセリフを言いながら去って行きたい。』と思っています。ですから、この本のテーマ「面白いとは何か?」の答えは必ず出しておきたいと思い、少し長い思考を重ねました。
その為に、もともとは4月10日に公開したいと思い本書評を書き出しましたが、三週間以上もの思考期間を長く取ることとなってしまいました。そして「書評」ならぬ「書評」を書き下ろす原因ともなりました。
少々苦労しましたが、以上の様に”面白い”の「定義付け」が出来たので、安堵しています。
この定義を下に、私自身に「今の自分は本当に「面白い」事をしているのか?」と、改めて自問自答しながら、方向性を間違えていないかを再確認してみようと思っています。
私はこの『「面白い」の定義付け」』思考をする事で、『「面白い」時間を多く持つほど「面白い」人生となって行く。』…という事に確信を持ちました。
我を忘れる程、面白さに没入する豊かな時間は、「子供の時期には多く持てましたが、大人になってからは”あまり持てていないな!”」と、皆様も感じているのではないでしょうか。
いかがでしょうか?皆様も一度現在の生活を振り返り、「子供の頃の様に我を忘れワクワクし興奮する「面白い」時間を持てているのか?」と自問自答してみませんか?
そして、もし『「面白い」時間を持てていない!』と自覚された方は、自分の現在地点を再評価し、本当にこれは「面白い!」という時間を持てるように、今過ごしている環境を、「面白い」を追求出来る時間を持てる環境へと、作り変える事を考えてみたらどうでしょうか?
尚、著者の言う所では、『過去の面白さは「既に面白くなくなった物」』でしかない。『「面白さ」で一番思いつく「面白さ」は、これまでに無かったもの』、つまり「新しい物」の追求が面白い。…と言っています。
皆様には、以上の内容を参考にして頂き、自分の「面白い」を追求し、豊かな時間、豊かな人生を築いてほしいと願っています。
残念ながら、最も華やかで見応えのある桜もツツジも散ってしまいましたね。
でも、さすがは春です。梅から始まって桜へ、桜から八重桜、そしてハナミズキ、ツツジへと。
長い期間たのしまさせて頂きました。
上の写真は八重桜ですが、ソメイヨシノの桜ほどではありませんが、重量感があり違った味わいの美しさを感じました。
この時期は特に、日本の四季の美しさを感じさせてくれますね。
Uチューブを見ると、訪れる外国人旅行者が日本の四季の美しさを指摘していますが、美しい日本に生まれた事を、我々はもっと感謝しなくてはいけないのかもしれませんね!
外国人の日本の良さに対する指摘に関して言えば、四季の美しさの他に、清潔さ、治安と、食事の美味しさなどが挙げられます。その声から、改めて世界の中で「日本人って、恵まれた環境にいるんだな!」という事を強く感じます。
ただ、平和で有る事が当たり前となっている日本人には、いわゆる平和ボケの様に、意外とその大切さに気付く事が少ないような気がします。
この事を拡大して考えると、私達は幸せであっても、その有難さと、それを作り上げている環境や周りの人への感謝を忘れているのではないか?と少し危惧を感じます。
「当たり前と受け止めている事は、決して当たり前ではない!」。当たり前にする為に労をいとわない人がおり、その人たちの汗の下で作り上げられている珠玉のような当たり前。
そういう隠れた努力を感じ、感謝を忘れない様にするべきだな!
Uチューブから、そんな事を学ばさせて頂きました。
2023年4月30日記
【追記:緊急告知です】
今年に入り、毎月10日、20日、30日を目安にし、記事投稿を続けて来ましたが、投稿する事に気を取られ、肝心な実現力思考をなおざりにして来たのではないか?と最近思い至りました。そこで、5月からは「思考する」事を重視する生活スタイルへ変更する事を決めました。
ですから、今後の投稿は、しばらくの期間は「いわゆるプロダクトアウト」と成ります。原稿作りを投稿日に合わせるのでなく、考える時間・内容作りを重視し「原稿が出来たら投稿する」スタイルにさせて頂きます。
ご迷惑をお掛けいたしますが、ご理解、ご容赦の程、宜しくお願い致します。
本の明細
著書名:面白いとは何か?面白く生きるには?
著者名:森 博嗣
発行所:㈱ワニブックス
第1刷発行日:2019年9月25日
定価:830円+税