”想い”の見える化 「自己実現の”自己”とは何か?」このブログでの定義を考えてみました。

1、「自己実現」の「自己」とは何か?を考える

①「自己」とは、人間社会において「他人」と区別する為の言葉人間は他人と共存する社会的存在

前回(7月21日)の記事で、人の持つ二つの目的について記事にさせて頂きました。
内容を振り返りますと、人には、二つの生きる目的があり、その内容は、
①一つ目は、生物として、子孫を残すという生きる目的。
②二つ目は、人間個人としての自己実現を達成する目的。
と記事に書かせて頂きました。(*詳しい内容については、時間のある時に、前回の実現力記事をご参照下さい。)

実は、前回上記の記事を書きながら「自己実現」という言葉を使う際に、この「自己実現という言葉を使う事」に違和感を感じていました。
そして、記事を書いた後、この違和感の正体は何か?を考えてみようと思いました。

考えた結果、見えて来た違和感の正体は、「自己実現」と言っても、その実現したい「自己」ってなあに?という疑問です。
そうです、その実現すべき肝心な「自己」の実体について、何にも言及していない事に想い至ったのです。

「自己実現」の「自己」とは何か?
その「自己」の姿を明確に言えない(定義出来ない)のでは、「自己実現」は、実体のない幻を追い掛けている事になる。
それが、「自己実現」を使う際に感じた違和感の正体でした。

疑問を持った時は、まず辞書を調べてみるのが、わたしの最近のやり方です。
早速調べてみた所、自己:我、おのれ、自分、その人自身…と書いて有りました。
自己も自分も抽象的言葉で、何か”イタチごっこ”の様に、回答にたどり着かないな~。という印象を持ちました。

そこで、自分の考える切り口・視点で、新たに考えてみる事としました。

以前、「言葉」の存在意義を考えた事があります。
その時思ったのが、「言葉とは人と人を結びつける為に生まれ、お互いの違いを相手に伝え理解させる為に使われる道具だ」という事です。
もし、この世に、生きている人間が私しかいなければ、「言葉」は必要ないし、生まれる事はなかったのではないか?と思えたのです。
自分以外の他人がいたからこそ、想いを通じ合う必要が生じ、その通じ合う為の道具として「言葉」が生まれたという事ではないか?
そういう答えにたどりつきました。

そこから導かれたのは、「人は人が集まる集合体(人間社会)の中で生きて行くものだ。」…という、人は人間社会で生きる事が「前提になる」という考えです。
それを端的に表現すると「人は社会的存在だ」という事です。

上記の考え方で行くと、「自己」という言葉の由来も「人は人間社会で生きる事を前提とし、その人間社会で自分と他人とを区別する」為に生まれた言葉ではないのか、と思い至りました。
つまり「言葉」も「自己」も「人の個体を区別確認する道具」として生まれたもので、「集団の中で自分と他人を区分けし、且つ自分と他人を繋げる役目」と考えらるのではないか。…という切り口です。

②「自己実現」の自己とは、自分を表現する「個性」と考える

言葉としての「自己」の意味は他人と自分を区分けする役目としても、実体としての「自己」とは何か?という質問の答えにはなっておりません。
そこの答えを出さないと、「自己=幻」問題の解決にはなりません。
「自己」の明確な姿を描く必要があるという事です。
思考を進めた結果、そのヒントは、「人は人間社会の中で生きる」「人間社会の中で他人と自分を区分けする」という言葉にあるのでないか?と考えました。

人間社会で他人と自分(自己)を区分けする要素とは何か?
そこで浮かび上がって来たのが、他人と自分を区別する「個性」という言葉です。

とりあえず、個性を辞書で調べてみました。
*個性:個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。…という意味でした。
これは、「他人と自分との違いは、個性として認識される」と解釈できます。

「自己」という存在は、同じ人間という意味で、「他人」と共通する基盤的部分が有ります。
というより「生きる、生活する、話す、食べる、寝る」など、人間のする事は、ほとんどが共通する同質な行為を行っています。
そんな中で自己と他人を見分ける違いは、行為の内容的な性質や特徴の違いの部分に認められる。
それはつまり、人との違いを生む「個性」と言える。…と推察しました。

以上、語彙の確認結果と一連の推察により「自己実現は=個性の実現」と考えて良い、と判断しました。

③「自己」と「自己実現」を定義する

上記を総括した結果、本ブログでの自己実現の「自己」とは=「自分という個性を持った人間」という結論に至りました。
又、上記の結論を受けて、自己実現については、自己実現とは=「自分という個性を”カタチ”にする事」。…という答えを導き出しました。
つまり、「自己実現」とは、人間社会の中で自分という個性を発揮し、自分の個性を生かし、自分の生き様を”カタチ”として描き切る事にある。

このブログで考える自己実現の「自己」の定義は、こういう結論に辿り着きました。

2、自分の「個性」の捉え方

①「個性」の構成要素とは何か?を考える

前述した自分の個性というのは、どうすれば捉えられるのでしょうか?
個性の構成要素には、何があるのでしょう?
自分の考える「個性を作り上げた構成要素」に対する見解は、以下の通りです。

自分が生まれ持った素質、自分が経験してきた事、学んで受け取ってきた事、思考を積み重ねた事全てが、自分という個性の構成要素となります。
簡潔に言うと、自分の全ての歴史が自分という個性を作りだしている。
つまり、1億人の人がいれば、1億人の個性があるという事です。
そして、「歴史の積み重ねで作られる個性は、常にその人の行動と思考により上書きされ、変化していく物」と心に留める必要が有ります。

②過去の歴史トピックに自分の個性が見えて来る

自分の個性を捉える方法は、自分の過去(例えば成功や失敗の体験、誰よりも上手く出来て来た得意な事などを記述)を振り返り、自分の歴史を紐解く(行動履歴と行動選択時の気持ちや理由を年表化する)事で、自分の個性を作り上げている資質や性格が浮かび上がって来ます。
その過去の歴史により作り上げられてきた自分を確認し、自己理解を進め、その上に今の自分の現状を精査して、これからの自分の未来に何を描きたいのか?を自問自答する。
こういった一連の作業を進める事で、自己実現したい明確な個性としての「自己」像が浮かび上がって来る物と思われます。

3、「個性」を”カタチ”にする作業は、幾多の可能性を捨てる作業から始まる

①「個性の表現方法」を1つに絞り込む

浮かんで来た「自己像」を、現実の場で表現するには乗り越えるべき課題が有ります。
それは、身体は一つしかないという現実的行動制約の事で、具体的行動をするには、的を絞り込む事が必要となります。
絞り込む方法は、「自分の個性を表現するのに適した分野は何か?」、「その分野の中で具体的にやりたい仕事はなにか?」を見付け出す(又は作り出す)事です。
これを比喩的に言えば、社会の中に自分の演技の舞台を探し出し(あるいは作り出し)、自分が見せたい演技のシナリオを作る。…というイメージです。

では、個性の表現分野を絞り込むという作業は、どういう視点で切り込めば良いのでしょう?

②他人が感じるその人の個性は、結果という「後付け」の印象が作るあなたの「核と成る個性」を探そう

人の個性というものは、自分の全ての要素で成り立っている物と先述しました。
でも、一般的景色の中で感じる個性というものは、他人との違いを際立たせる「核と成る個性がある」という事ではないでしょうか?
そして、その「核と成る個性」として他人に認知される物は、その人が打込む仕事であり、その仕事で生まれた成果やそれを生んだストーリーとして人に認知される事が多い。
つまり、人が感じる他人の個性とは、行動の結果から印象付けられた「後付けの姿」だ、と考えられます。
例を言えば、アインシュタインってどんな人?と問われれば、宇宙の姿を解明する「相対性理論を作った人」、とその人の個性を業績で理解し説明する人が、多いのではないでしょうか?

その意味で、「核と成る個性」を作るには、「自分が熱中出来、成果としても期待出来る”自分のやりたい事”を探し、見付ける事」が、自分に課す重要なミッションとなります。
そのミッションを遂行するには、自分の特徴や強味と弱みを考えながら、熱中出来、継続出来る自分の「核と成る個性」を作る仕事はなにか?という視点でやりたい事を絞り込む方法が良いと考えています。

4、「やりたい事」を1つに決める

①「核となる個性」を作る「やりたい事の見つけ方」自分の本音で選ぶ

では、具体的にどう進めれば良いのか?

自分の個性は、自分自身の中に有ります。
それを素直に引出せばよいのです。
その為には、周りを気にする事なく「自分の本音の声に耳を傾ける事」が重要になります。
「他人に言われたから選んだ」と人に頼ることなく、自分に質問し、自分の声・自分の答えを聞く事で、選択に個性がにじみ出ます。
ただ、選択に当たっては、それが結果となって表れた時、他人から見て自分を代表する「核と成る個性」になれる物なのか?を想像し、選択する様にして下さい。

②選択肢は、出来るだけ多くのアイデアを考え出す

気に入る「やりたい事を見付ける」には、出来るだけの選択肢を考えだし、その中から一つを選び出す事が必要となります。
どんな選択肢があるのか?…多くの選択肢を見付けるにはどうすれば良いのか?
そして、選択肢の中から選ぶ際に、選択肢をどう評価すれば良いのか?
という問いに答えを出さねば、具体化出来ず先に進めません。

でも、幸いに事に、この方法については、色々な書物で語られている手法が参考となります。
まず、以下の四つの要素を自問自答する事で、自分の中にある「素質や要素という個性」を洗い出し、自己理解を進める。
出て来た答えを組合せれば、多くの自分のやりたい事の選択肢を見出す事が出来ます。

①自分が熱中し、楽しむ事が出来る「好きな事」は何か?
②自分に与えられた資質である強味や、後天的に磨いた技術を発揮出来る「得意な事」は何か?
③自分が生きる上で大切で、重要な「価値観を表現出来る事」は何か?
 *例えて言えば、「人に貢献出来る事」「困った人を救済する事」「人生を楽しめる仕事をする事」など。
④自分の好奇心を刺激される「気になる事」は有るか?

そして、出て来た選択肢をどう評価するのか?について言えば、例えば「やり易さ、展開の速さ、自分の満足度、魅力度、市場の成熟度、競合他者の存在」など自分なりの評価軸を作り、事案を総合評価すれば良い。
そして、やりたい事を決める最後の決断は、『「その事案を”是非やってみたい!”」と「自分の心を動かす事案であるのか?」』を自分に問い掛け、「自分を掛けてみたい」…と覚悟出来る事が決め手となります。

いかがですか?
やや抽象的論議過ぎた感が有りますが、この論議が、あなたの参考になったなら幸いです。
いつの間にか、自己実現の自己とは何か?という論議から、先に進み過ぎた感が有りますので、今回の論義はここで終わりたいと思います。
次回は、自己実現の為の”やりたい事を見つける具体的方法”について考えてみたいと思っています。

夕刻の景色には、何故か癒される時が多いです。
ブログ書きは、パソコンとのにらみ合いになるので、夕刻の散歩は息抜きの時間となります。
ブログをリリースしてから約9か月になりますが、それにしては、物書きスピードの進化があまり無いようで、残念‼
でも、諦めずに一歩一歩、前に進めていれば良い。
と、ハードルを時に下げる事を、自分に許可しています。

2021年9月19日記
2021年11月20日第1回修正





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